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イベント情報 投稿記事 狭山事件 差別事件 クローブアップ オススメ コラム

1963年5月1日、埼玉県狭山市で女子高校生が帰宅途中に誘拐、殺害された事件。警察は、40人もの警官を張り込ませながら、身代金をとりに現れた犯人を取り逃がしました。埼玉県警は、5月23日、石川一雄さん(当時24歳)を別件逮捕し、取調べを始めた。石川さんは、1か月間無実を訴え続けたが、弁護人との接見妨害や拷問的な取調べにより、やってもいない犯行を認める自白をしてしまいました。
半年の裁判で1審は死刑、その後石川さんは無罪を主張するものの2審は無期懲役という判決が下されました。最高裁は事実審理をおこなうことなく上告を棄却、無期懲役が確定しました。石川さんは1994年に仮出獄し、全証拠開示、再審開始を求め無実を訴え続けています。
2009年、ようやく三者協議が開始され、裁判所は検察側に証拠開示を勧告、翌2010年、一部証拠が開示され、これまで10回の三者協議がおこなわれています。

犯人を取り逃がした翌日、女子高生の遺体が発見されました。

警察は1か月前におきた「吉展ちゃん誘拐事件」でも犯人を取り逃がしており、強い批判を受けていました。
追い込まれた埼玉県警は、遺体発見現場近くの被差別部落を集中的に捜査し、5月23日に石川さんを窃盗、暴行、恐喝未遂容疑で別件逮捕しました。

石川さんは別件で起訴された後、いったん釈放されましたが直後、窃盗、強姦、殺人、死体遺棄容疑で再逮捕されました。
違法な厳しい取調べにより石川さんはやってもいない犯行を自白してしまったのです。

石川さんは、1審では終始犯行を認め、わずか半年の裁判で浦和地裁は死刑判決を言い渡しました。
翌日、石川さんは東京高裁に控訴し、東京高裁でひらかれた控訴審第1回公判で、自白は強要されたものであると主張し、1審で認めた犯行を全面否認しました。しかし東京高裁は、現場検証や証人尋問を却下し無期懲役判決を下しました。1977年8月、最高裁は事実審理をおこなうことなく上告を棄却し無期懲役が確定しました。

石川さんと弁護団はその後も異議申立て、再審請求をおこなうが棄却、却下されました。1994年12月に石川さんは仮出獄し、自身の無実、司法の不当性を訴え続けています。2005年最高裁は事実調べをおこなうことなく第2次再審請求の特別抗告を棄却しました。翌2006年5月に東京高裁に第3次再審を請求、石川さんを支援する人の輪は広がっています。
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