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いまこそ9条
井筒和幸監督が和歌山で熱く語る!!
2月17日、和歌山市民会館でおこなわれた「いまこそ9条 井筒和幸監督が和歌山で熱く語る!!」に行ってきました。
雪がちらつく寒い日でしたが、会場には400人もの人が監督の話に聞き入りました。
この対談では、監督が映画「パッチギ」を書くきっかけになったことや自身の家族が体験された戦争の話などを語っていただきました。


◆ 脚本を書くきっかけ
「生まれた場所より、生きてる場所やろ」をキャッチフレーズに封切された「パッチギ」(2004年)から3年。「パッチギ!LOVE&PEACE」が上映されたわけですが、監督がこの「パッチギ」を書くきっかけになったのは・・・
  (1)「在日の人がなぜ、日本にいるのか?」
  (2)「日本に住んでいるのに、なぜ日本の権利がないのか?」
という疑問から、日本にいる在日の人の歴史をひもとく必要がある!と痛感し脚本を書くことになったそうです。


◆ ヤップへ逃げろ
若き日のジンソン(アンソンの父)は、日本軍から「召集令状=赤紙」を受け取る。
徴兵されれば命がないことを悟ったジンソンらはヤップ島へと逃げる。
というストーリーがありますが、これは李鳳宇プロデューサーのお父さんの話からヒントを得たそうです。
ある日、役場から召集令状がくることが伝わり大阪・寝屋川の叔父に相談したところ、「ヤップへ逃げろ!」と言われたそうです。


◆東京・江東区枝川/東京朝鮮第二初級学校(通称:枝川朝鮮学校)
「パッチギ!LOVE&PEACE」の舞台となった江東区枝川は、現在も在日のコミュニティがしっかりと根づいているエリアである。
この枝川にある東京朝鮮第二初級学校は、東京市による強制移住という歴史的経緯をふまえ、1970年から20年間の期限付き契約で無償貸与されていた。ところが東京都は93年からの10年間の土地代として4億円の支払いを求めて訴訟をおこすが、07年3月に和解が成立。
この裁判には、韓国の国会議員はじめ多くの市民団体が学校を支援している。
監督もCDなどの売り上げを裁判費用にまわすなどの支援を続け、学校用地の買収費である1億7000万円を東京都に支払われた。
このような背景があって、「パッチギ」が製作されたのです。


◆ 戦闘シーン
この映画は2つの時間軸ではじまる。ひとつは、ジンソンが生きた「1944年」、もうひとつはアンソンがいる「1974年」である。
ジンソンが生きた1944年は、すべて戦闘シーンで構成されているのだが、この戦闘シーンを「かっこいい!」と認識をしてもらいたくなかったと振り返る。
戦争シーンを「かっこいい」と認識させないために、すべてを「悲惨な戦闘シーン」で作りあげた。
爆撃で人や建物が燃え、爆弾が腹を貫通し向こう側がみわたせるという、現在の日常では想像できないシーンばかりで構成されている。


◆憲法9条について
監督は「本気でラブとピースを描きたいなら、まずその対極にある現実からハッキリ見据えないといけない」と語っておられました。
この映画はひとりの子どもの命を守る家族が描かれている。
戦争はなにも生産されないが、激動を生き抜いた在日1世であるジンソンが後世へと命を繋ぐ様がひしひしと伝わってくる。
「憲法9条は守らなければならない」という監督のメッセージが込められた「本気」のラブとピースの映画である。



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