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「オードゥサン統一展望台」へ


2003年11月24日(月)曇

仁川国際空港近くにある金浦(キンポ)大橋を渡り、漢江に沿って北に走ること1時間。
休戦ライン近くの「オードゥサン統一展望台」へ。

本日の研修場所だ。

ここは、1950年6月にはじまった朝鮮戦争から53年目を迎える冷戦の現場。
決して朝鮮戦争は終わっていない。
あくまで「休戦中」であることを理解していただきたい。




さて、目的地である「統一展望台」へ向かうまでの道すがらの漢江では、びっくりすることに10kmくらいの間隔で戦車が配備されていました。
ガイドの朴(パク)さんによると『2000年の南北会談以降、戦車の数が増えた』んだという。

南北統一と叫んではいるものの、休戦中であるという事実とも相まって緊張関係が一層増したということか?
なんとも理解し難い事実に愕然・・・。
話は戻りまして・・・
「到着〜!」という朴さんの声で目が覚めた私は「日本では実感できない「国境」という事実」に、胸は高鳴っていたように思います。

目が覚めたというのは当然バス中で居眠りをしていたんです。
どうも、バスの揺れは眠りを誘う・・・
隣のKちゃんは、乗った直後、大爆睡していました・・・

「国境」を一望できる「統一展望台」は、ソウルの中心を流れる漢江と北朝鮮から流れるイムジン江が合流するところにありました。
そこで、日本人観光者向け(もちろん日本語)のガイドビデオをみました。


ビデオの内容は、北朝鮮のようすや経済状況、住民向けの放送、そして民族統一への韓国の想いが語られていました。
それにしても・・・現実と理想のギャップとでもいうのでしょうか。

戦車の増加やビデオの内容『宣伝村には数戸のマンションが建っているが、建設途中で放置されている、住民を強制的に住まわせている』などなどの説明ビデオがなされていましたが・・・・・

展望台から見える開城直轄市豊郡にある「宣伝村」には、金日成史跡館、人民学校、人民文化会館、対南放送基地などが建っていました。

暖かい季節には、宣伝村の住民による農作業のようすや軍人の活動などが伺えるそうです。

しかし、その日は、寒くて曇っていたからか望遠鏡で見る限り人の活動している様子はありませんでした。



その望遠鏡がある広場で、私たち事務局は朴さん(写真家)に記念撮影をしてもらいました。
山頂のために寒くてみんなブルブル震えていましたが、喫茶店で暖かいコーヒー(ナッツの香りがして甘いこのコーヒーはいったいなんていう種類なんでしょうか??)を飲み、続いて2階にある展示室へ行きました。

この展示室には、北朝鮮での生活の様子や名勝地、教育、兵役のようすなどが詳しく展示してありました。
例えば、学校の教室であったり、家中の一室であったり、また農作業用具、衣類、下着、娯楽品などなど、展示品は多岐にわたっていました。
しかし、展示室を見るかぎり、北朝鮮の経済事情や生活状況などが・・・・・

まとめ


韓国に研修旅行へいって「国境」という人間が勝手に引いたラインを実感しながら3日間を過ごした。

何年か前「JSA(ジョイント・セキュリティ・エリア)」という韓国映画が上映された。

映画館で観たがもう一度、観たくてビデオを買ってしまった。

それはどうでもいいのだが、南北分断の地「板門店」で繰り広げられた友情とそれを引き裂く南北事情。
中立国であるスイスでさえも「友情」という事実を公表できなかった、53年の深い溝。

のんきにビビンバブを食べていた私たちの日常生活のなかに「南北分断」という大きな緊張感は感じられなかったが、「統一展望台」の入り口を警備する軍人や「国境」沿いに配備された戦車、見張り台、道ゆく軍人・・・・・。

ふっとしたところで「分断」という事実を知らされる。

ガイドの朴さんは
「国民レベルで分断を決して望んでいない。国家レベルでの勝手な事情で、離散させられた家族の悲痛な思いを、世界中の人に知ってほしい。」

韓国の正月、離散家族は38度線周辺に向かう。
国家レベルの勝手な事情で離ればなれになった家族を慕い少しでも近づけるように・・・と38度線に向かうそうだ。
さまざなま辛く哀しい事情はどの国でもあるが、「離散」という自身でどうもがいても解決できない大きな「国境」は日本では実感できない。

文:M口亜紀


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