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知覧町を訪れて

山本 恵里
 今回私は、はじめて事務局研修会に参加しました。
関西空港から鹿児島空港に飛び立ち、鹿児島空港からバスで1時間ほど移動して、かつて旧日本陸軍の特攻基地があった知覧町につきました。

 知覧特攻平和会館に入館するまで、特攻銅像〔とこしえに〕鳥浜トメさんの像や戦闘機があり、石碑の間を通り抜けて特攻平和観音に参拝し、三角兵舎を見学しました。
三角兵舎は、攻撃されるのに備えて、地下のようになっており狭く暗いところで、特攻隊を励ます手作りの小さな人形、男性にしては小さな寝具、軍装品が展示されていました。

 これまでの私の心情は、戦争・特攻は怖いという気持ちしかなかったように思います。
 特攻平和会館に入り、多くの若い特攻隊員の写真、出撃前に残した家族や知人への手紙・遺書・句、日の丸に綴られた寄せ書きをみて、私は胸がしめつけられる思いがしました。
出撃前に書いたとも思えない程の、きれいな字で乱字もなく自分たちは御国のため、家族の為に平和を願った文章が綴られ、もし自分が同じ立場にたってこのように思えるだろうか、もし自分の家族や知人が特攻に行くことになって御国のため、家族のためにがんばって行って下さいと言えるだろうかと思いました。

 特攻平和会館をあとにして、ホタル館(特攻の母と呼ばれた鳥浜トメ資料館)を見学しました。
 ここでは、鳥浜トメさんと特攻隊員との絆のような遺品や写真がたくさん展示されていました。
 その中でも、「明日、特攻が成功したらホタルになって帰ってくるよ」と宮川軍曹の言葉をみて、とても悲しく思いました。
 負けると分かっている戦争に片道分の燃料だけを積んで、飛んだら死んで来いと行われた特攻で、パイロットを夢見ていた多くの若者達が平和を願い散っていきました。
これは国家の名誉、また特攻隊を歴史に残すために行われたものだと思います。
 戦争というものがなく、散っていった若者達が生きていれば、今の日本はもっと良くなっていたのではないでしょうか。
 命令を出す者が、戦争・特攻は間違っていると早く気づくことはできなかったのでしょうか。
 私は生まれて今まで、戦争を知らず生活をしてきています。
今回この研修を終え、知覧町に訪れる前に特攻についてもう少し知識があれば、もっと見方が違ったように思います。
こらからも、特攻隊員や奉仕隊、自分の国の人達だけではなく、戦争で散っていった多くの命を無駄にしないよう、平和を願いたいと思います。
 
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