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鹿児島県「知覧」事務局研修参加報告

小嶋仁史
 午前10時30分鹿児島空港に到着すると、台風の影響か風が少し強く、気温も予想していたよりも低く、暑いという感じはしなかった。

 空港を出ると、すぐにバスへ乗り込み特攻作戦が展開されたゆかりの地、知覧特攻会館へ向かった。

到着し、駐車場から知覧平和会館に向かって歩いていると、本物の設計図を取り寄せ5000万円で製作された一式戦闘機『隼』が展示されていた。
私は一式戦闘機『隼』を見るのは始めてで、レプリカではあったが非常に精巧に造られていた。
さらに奥に進むと、そこには、両側に特攻で犠牲になった方々の灯篭が建てられており、その奥に特攻平和観音があり、観音様の体内には特攻で散っていった1036英霊の霊名録が収められていることを教わった。

特攻平和観音の左側には、復元された三角兵舎があり、米軍機に発見されないように、松林の中に地下壕をつくり、屋根にスギの木をかぶせ偽装しており、出撃前夜はこの三角兵舎で壮行会が行なわれ、笑顔で酒を酌みかわしながら軍歌を歌い、薄暗い裸電球の下で遺書を書き、また別れの手紙を書いていたことを知り、心の中が熱くなり切ない気持ちになった。

知覧特攻平和会館に入ると、写真、遺書などの遺品約4,500点、特攻隊員の遺影1,036柱などが展示されていた。
壁には出撃順に出撃日、氏名、所属部隊が書かれた写真が展示しており、遺書、遺品などがガラスケースに整然と並べてあった。
特に遺書は達筆で、17才から20代前後の青年たちが書いたとは思えないほど立派で、親や家族、恋人を想う気持ちが込められていた。
隊員たちの写真も展示されていたが、その表情はすがすがしく笑顔のものもあり、とてもこれから特攻に向かう人の表情には思えなかった。
しかし彼らは、日本のため、故郷のため、愛する人や家族のために知覧飛行場を飛び立ち、亡くなっていった。
そのことを思うと、彼らの思いをしっかりと受け止め、それを次の世代に伝えていく義務が、今を生きる私たちにはあるのではないかと思います。
今回の事務局研修では、知ることと教わる事の出来た研修でした。これからは、平和の重みを自分事として、改めて考え行動していきたいと思います。

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