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赤村が元気 〜DO YU 農〜
福岡県田川地方から赤村へ視察に行ってきました。
田川地方は、いわずと知れた炭鉱の街。福岡県のほぼ中心部に流れる遠賀川沿いにあり、明治初期の自由化(1872年、鉱山解放令)により、一挙に旧財閥系の企業が炭鉱開発に乗り出し、日本の経済を支え続けてきました。
しかし、戦後のエネルギー政策の主力が石炭から石油への転換により1976年に閉山に追い込まれたというのがその簡単な歴史といえます。

私たちは、二本煙突で有名な三井伊田炭鉱の跡地の丘にある「田川市石炭歴史博物館」を訪ねた。
またこの地は、「炭坑節」の生まれた場所としても有名。博物館に来たのは二度目で、炭鉱の歴史や採掘の状況、炭鉱労働者の住宅等々が展示されているが、今回はあまり詳しく見なかった。


それよりも関心を持ったのが、隣の丘の上にある炭鉱労働者の殉職者の碑であった。
田川地区・炭鉱殉職者慰霊碑の碑文を読むと「・・・被害は甚大で殉職者は推定二万人とも言われている。」しかし、ガイドの人の説明によるとその数の数倍の犠牲者がいるが正確なところは把握できないとのこと。
また、大半の労働者が怪我を負っていたとの話も聞かせていただいた。

さらに、徴用として連れてこられた中国人や朝鮮人労働者の慰霊碑も見させてもらった。
日本の経済発展や朝鮮や中国への侵略の歴史の一部を垣間見た感じであった。

さて、私たちは、田川から山間の村「赤村」を訪ねた。
赤村は、約1,000世帯、3,600人の小さな村です。
私たちは、自然学習村「源じいの森」で、「赤村物産センター」の説明を受けた。





「赤村物産センター」は、1991年に村内の12団体で運営協議会を結成し、1999年にオープンしている。
「むらづくり」として進められた取り組みは、都市住民との交流(農業農村体験イベント)「DO YU 農」を開催したことに始まる。
「赤村物産センター」、「源じいの森」、温泉センターそして、様々な体験イベントが連携して「むらづくり」が進められている。また、物産センターでは、赤村産品の広報、消費者ニーズの調査研究、そして実践組織へのフィードバックと進めているが、とくに産品ごとの実践組織の活動がその中心をなしている。
そして、そうした活動の実働部隊が村の高齢者である(話をしてくれた理事長も齢80を超えているという、失礼)。
その理事長から様々な面白い話を聞いた。
ある女性の話だが、最初活動に加わったとき、朝早く、連れ合いに黙ってソッと家を抜けていた。そんな時、連れ合いが「何を朝からウロウロしにいって・・」とえらい不機嫌になっていた。
そんなことを繰り返すうちに連れ合いの意識が変わり、今では協力的になっている。
とか、ここ赤村は、歌手の西川峰子さんの出身の村であるが、その峰子ちゃんが若いときから『私は、九州の電気も水道もない赤村という田舎の出身です』という話をしている。
その話が印象的で、理事長がよそへ行って自己紹介すると『赤村は、電気も水道もないんですか?』と聞かれるので『はい、そうですよ!』というそうである(笑い)。
そうした赤村の取り組みは、単に村づくりの活動ではなく、雇用や収入に繋がっているという。
とにかく、赤村は元気であった。

○追加の話
飯塚や田川地方で、明治の初期に石炭の採掘が始まり、全国から多くの労働者が職を求めて集まったという。
初期のころ、労働者たちは住むところもない状況で、炭鉱近くに小屋がけをして労働をしたという。
しかし、元来農村地帯であったこの地方は、それぞれが極めて排他的で、そうした労働者を迎え入れることがなかったが、近隣の部落では、そうした労働者を受け入れたり、隣接地に住むようになった。
整備された炭鉱労働者住宅が建設されるのは、ずっと後のことになる。
赤村の「むらづくり」の中心は、部落解放同盟と共闘会議に参加している団体の人たち(女性)である。
日常的に様々な課題を共有しあっていたため、取り組みも自然に盛り上がったという。

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