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人権について
人権に関わるさまざまな問題ですが、人権を侵害される、つまり「 差別 」の問題です。
人権は人間として生まれながらにして備わっている、人間としての根本的な権利です。
それは、何の条件も理由も必要としない、ただ人間であるということで誰にでも保障されている、変わることのない権利です。

この権利が侵害されるとか、保障されていない状態とか実態が「差別」なのです。

「差別」あるいは「人権」ということについて、意識とか付き合いなどに限定された捉え方は誤りです。
人権というのは、人間としての根本的な権利、つまり生きていく権利です。

人間は、十分な食事と着るものがあり、どこにでも住み、自由に仕事を選択し働くことが出来なければなりません。

文字や学問を習得し、文化や科学、芸術を享有しなければなりません。
子どもは自由に遊び、社会に保護されなければなりません。
高齢者は、日々の生活に生きがいをもたなければなりません。
つまり、人間は誰でも絶対に、幸福でならなければなりません。
ところが、本人が意図しない理由や、またおかれている状況や価値観の違いから、この生きる権利が侵害されるとしたら大変な問題です。

人間は、誰も自分の「生まれ」について選択できません。
また、毎日生活していて病気になったり、事故にあったりすることがあります。
ところが、自分で意図しないことやどうしようもないことを理由に、不当な扱いな扱いを受けるとしたら我慢できますか?

「女だから」
「子どもだから」
「歳をとっているから」
「障がいがあるから」
「部落だから」・・・

我慢できますか?

「国籍が違うから」
「宗教が違うから」・・・

差別をされて納得できますか?

意識や価値観についてですが、これはその時の時代や社会の状況によって創られたり温存されたり、強化されたり、ゆるくなったりします。
しかし、私たちの社会の中に、古い慣習や言い伝えが変わらずに生きています。

大安や仏滅等の良い日、悪い日、ケガレや家柄・・・など、がそれです。
私たちは、誤った意識や不合理な生活習慣の中で、生まれ、生活しています。
そして知らず知らずのうちに誤った考えを身についてしまっています。
人を差別する心も同じです。知らず知らずに、そうした意識を身につけてしまっているのです。

差別は、されている人だけではなく、周りの人すべてを不幸にしています。
差別は、人間が幸せに生きる上で一番の敵です。

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